JAPAN MEDIA ARTS FESTIVALに行ってきました

6月24日に、文化庁が主催するメディア芸術祭である、JAPAN MEDIA ARTS FESTIVALの受賞作品を見に、六本木の国立新美術館に行ってきました。

好きな作品、興味深い作品がいろいろありましたので、その紹介と、ついでにアートと自分の関わり方なんてことを語っていこうかなと。

第21回文化庁メディア芸術祭

比較的よく名前を聞くようになってきたメディアアートという言葉。
厳密な定義は無いようですが、メディア(媒体)を使ったアートを広く全般的に指すことが多く、この文化庁メディア芸術祭では「アート / エンターテイメント / アニメ / マンガ」という4つの視点からメディアアートの作品を集めています。

後者3つには比較的有名な作品も多く、個人的には「この世界の片隅に」(アニメ部門大賞)「人喰いの大鷲トリコ」(エンタメ部門大賞)「AIの遺伝子」(マンガ部門優秀賞)あたりを会場で見かけたときはテンションが上がりましたね。トリコの実物大映像可愛かった。

ですが今回は、あえてアート部門を取り上げてみようと思います。
感じること、考えることが極端に多かったのがアート部門だったので、ブログに書くならこっちかなと。
ひとまず、いくつか作品を紹介していきます。(ちなみに会場で全然写真とか取らなかったので、全て文章ベースのご紹介になります…ご容赦を…!)

Panderer(Seventeen Seconds) – Gary SETZER

17秒間、映像の中の男性が鑑賞者に語りかけます。
「美術作品1つに対し、鑑賞者が使う時間はおよそ17秒であり、この作品はその理想的な観賞時間を正確に守っている。」
そして以上で伝えたいことは全てだと唱えた男性は、17秒ぴったりでフェードアウトしてしまいます。

さて、この作品を見たあるカップルが、17秒間立ち止まったのちに「なにこれ、何も言ってないようなもんじゃん」と言って、立ち去りました。
それを見てぼくは、ひどく興奮してしまいました。「ああ、彼らのおかげで作品が完成した」と、そう思ったからです。

17秒間という時間では、どうでもいい表層的情報しか得られないということ。あの作品を見て「で?」と思った人は、おそらくあらゆるものを鑑賞する際に「で?」と思い続けることでしょう。

飄々とした顔の男性を写したユーモラスな作品でありながら皮肉的。カップルの存在もあいまって、とても印象深い体験でした。

Avatars – 菅野創 / やんツー

会場にはたくさんのオブジェが置いてあります。
車や胸像、扇風機にパソコン。謎の岩も。
それら全てにはカメラがついていて、ネットワーク越しの誰かがそのカメラを通してこちらを見ていること・オブジェを動かしていることが伝えられます。

鑑賞者は(任意ですが)自らもマスクをつけその空間に入り込み、誰かが動かすオブジェと対面します。

何も考えず適当にウロウロしている中、車の前に立つとヘッドランプが点灯しました。
眩しかったので、試しにヘッドランプを指差しバツマークを出すと、ヘッドランプが消えます。ネットワーク越しの誰かが、ジェスチャーに気づいて消してくれたのでしょう。

面白くなって他のオブジェとも身振り手振りで対話をしながら遊んでいたのですが、ふと目に止まったあるパソコンに、どこかのカメラの様子が映っておりました。
また画面右下には矢印ボタンが、左下には謎のスイッチがいくつか配置されています。

とりあえず矢印ボタンをクリックすると、カメラが矢印の方向に動きました。「ほほう」と思って、矢印を動かしながらあたりを見回してみたのですが、どうやらそのカメラ、扇風機の上についているようです。

扇風機の前にはぼくと同じ鑑賞者がいて、手を振ったり笑いかけたりしています。ぼくが上矢印を押すと扇風機が前に進み、左矢印を押すと左を向き。鑑賞者は無邪気に「扇風機が動いてるの面白い」と楽しんでいます。

面白い体験でした。
扇風機に向かって手を振っている人たちは、扇風機は「ネットワーク越しの誰か」が操っていると思っており、まさか「同じ会場にいる誰か」が動かしているとは思っていません。

アバターというコミュニケーションのためのインターフェースをおいたとき、その裏で動かしているのが「誰なのか」はもはや問題ではないのだなあと実感します。VTuberなんてその最たるものだと思いますし。

その流れで、こんなことを呟くのでありました。

アートとの関わり方について

最近自分の中で、「アート作品」と関わることに積極的になろうと意識しています。
作品のジャンルは問わず(ただテクノロジーと呼ばれるものが好きなので、メディアアートに偏りがちではあるのですが)西洋美術も現代アートも、あるいはクラシック音楽なんて分野まで。

作品の裏側にある意図や、作品を見て感じた自分の感情を深掘りし、それを言葉にしていくこと。
感覚を言語に変換していくことで、解像度を落とすことで、逆にエッセンスの部分を見つけること。

そういう行為が、今はとても楽しい。
そして(ここまで言うのはどうなんだろうと思いつつ)アート鑑賞って本来的にそう言う行為なのかなとも。

昔は、本当にアートというものに興味がありませんでした。
作品とは消費するためのもので、いっとき「楽しい」とか「面白い」とか感じさせてくれればそれで十分だったので、「よくわからない」とか「難しい」と感じるものからは瞬間的に目をそむけてきました。

でもそこであえて一歩立ち止まって、少しだけ考えを広げてみる。別に誰に見られているわけでもないんだし、自分の頭の中くらい、自由に適当に、作品に対して思うことを挙げてみる。
そうすると、意外と思いつくことってあるもので、ぼんやりと作品を見ながら考えを広げているうちに、平気で2,30分って過ぎていきます。

そうして感じた思いを言語化して、いまやっているようにアウトプットしてみると、ただ「見て」終わっただけじゃない、経験として蓄積されるアート鑑賞になる気がします。

今は楽しいからやっているだけだし、それでいいとも思うけれど、これが積み重なって、自分の好きな作品というものが集まってきたら、もっと豊かな人生になるんじゃないかなあなんて妄想してみたり。

まだまだ始めたばかりの趣味ですが、これからも時間を見つけて、見にいってみようかなと思います。

ではではっ!

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